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盲導犬事件

 そこまで倒錯しているのか、って暗澹たる思いですが、“犯人”を絶対的に憎む気持ちになりませんでした。

 昨日読んだ新聞のコラムに、電車の中で盲導犬が刃物で怪我を負わせられたが、吠えなかった書かれ、あまりの非道さを嘆いていました。
 犯人は、丁寧に盲導犬のコートを剥ぐって犯行に及んだとも書かれていましたので、相当の悪意があったようです。
 普通の感覚だとコラムの主のような思いを抱くのは当然。でも、精神医療の薬害被害者の話を聞けば、コラムの主の感覚を直に受容することに抵抗が出てしまう。

 昨日は、精神医療被害連絡会の中川代表と2時間ほど意見交換させていただきましたが、我々の常識は非常識かも知れないし、被害者の苦しみは想像以上と思います。
 そうした現状を理解したうえで盲導犬事件を見ると、もしかしたら、その犯人は精神医療薬害被害者かも知れないのです。
 うつや統合失調症、発達障がいと診断された人が、誤診、過診と精神科医の薬への知見不足のために、本来苦しまなくていい病状のような薬の副作用で苦しみ、突発的にそんな犯行に及んだとしたら、その責任は誰に帰するのか?

 正しい診療と処置ができる精神科医はどの程度いますか?と中川さんに聞くと、間髪を容れず、5%との答えが帰ってきて、のけぞるようでした。
 被害者連絡会の方ですから、差し引いて考えてもかなり厳しい現実があるかもしれません。まして、中川さんは東西の論文などにも精通しています。

 しかし、例え、誤診による過剰投与が直接的原因とほぼ特定できる場合でも、医療訴訟では国や司法に守られた精神科医師の過失は問われないのが現実。
 向精神薬などの薬剤には、希死念慮を起こす副作用などが明らかになっていますが、薬害が原因となって自死に追い込まれたとしても、それは、医療の責任とはなりません。本人の責任となってしまいます。

 昨日読み終えた内田樹著「修行論」には、正義が過剰に攻撃的にならないよう、慈愛が過剰に放埓なものにならないようバランスをとれるのは生身の人間だけ、とあります。
 そして、そいうデリケートなさじ加減は、身体を持った個人にしかできない。法律や規則によって永続的に「正義と慈愛のバランス」を取ることはできないと。
 生身を持った個人が鈍ってきた結果が、盲導犬事件などの不条理な出来事の頻発につながっているのでしょうか?
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| 医療・福祉 | 22:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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