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看取りを考える全国大会実行委員会で思った変なこと

 「わしら、なんちゃいらんきっ」って言われると、資本主義経済下で活動する皆さんは、当惑し、そして反発せざるを得ないんだろうと思います。

 昨日のブログの後段部分の続きなんですが、昨日の看取りの全国大会実行委員会には、鹿児島、大阪、名古屋、静岡、金沢、そして関東近辺から、25人ほどの錚々たる皆さんがお集まりでした。勿論、全員ボランティア。島根から唯一参加の僕も片隅に。
 面白いよなあと思うのは、男女が1:2くらいの割合だったと思いますが、男って、斜に構えるんですよね(*^^*)ボランティアでも。
 もちろん全員とは言いませんが。これって、世代もあるのかなあ?

 ここで、また内田樹。仕方ありません、共感、共鳴しながら読んでいるんですから。
 著書は、内田樹と中沢新一の対談をまとめた「日本の文脈」。ともに1950年生まれ。僕と一緒。彼等の学年は一つ下かもしれませんが、、、
 付箋だらけになっているんですが、ここに、アジアの伝統的学問と欧米の学問との違いについて言及するところがあります。

 欧米の学問は、「無時間モデル」。それは、真理を一望できる観照モデルを理想とし、問いと答えにタイムラグがない。
 一方のアジアの学問は、仏法や武道の修行のように、体を介して、体を使ってに象徴されるように、時間の中で何かが変化していく「有時間モデル」だと。
 これは、父性原理と母性原理でもあると。まさに、妊娠・出産や子育てに象徴される母性原理は「無時間モデル」になりえない。看取りもそう。

 自分で、自分の仕事のやりかたは「無時間モデル」的だなあと思うのですが、志向するところは「有時間モデル」だなあと思っています。
 だから、琴線に触れた活動に対し、贈与をいとわない女性たちに羨望にも似た共感の思いを抱くのです。だって、昨日も遠くから駆けつけているのはほぼ女性。
 そして、肝心な押さえは男が登場するんですが、実働で労力をいとわず注ぐのは女性。その女性に支えられた、柴田さんの活動は本物だと思えるのです。

 冒頭の言葉、「わしら、なんちゃいらんきっ」って開き直っている柴田さんに共鳴する多くは、贈与経済志向の、しかも女性なんだろうと。
 人の幸せを担保する看取りは、交換経済では成り立ちにくいんですよね。前述の本では、教育、介護、医療、農業などが列挙されています。まさに。

 8月24日午後、東京の四谷区民ホールで開かれる「日本の看取りを考える全国大会」、島根の僕には隔靴掻痒の感もありますが、大成させたいものだと。
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| 死の文化 | 23:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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笑顔で母の死を迎える~柴田さんの講演会

 処分から初めて?だったでしょうか、看取り士・柴田久美子さんの講演会がありました。大きなヤマを乗り越え、乗り越えて、新たな地平に立っていらっしゃるようです。

命のバトンを渡す
 私たちは、「体」と「良い心」と「魂」を授かって生まれてきた。授かった「体」が消え去ろうとする時、「良い心」と「魂」はどこへ行くのか?
 子どもたちはよく知っていると柴田さんは言います。子どもたちは「子や孫」に受け渡すと答える。命のバトンを渡す、大きなエネルギーを受け渡すのが死なのだと。

 死は怖いものという意識に象徴されるように、自宅死がわずか12~3%になってしまったように、その生と死の汀は余りにも遠くへ追いやってしまった私たち。
 2025年、団塊世代が高齢を迎えた時、45万人の死に場所がないと厚労省は発表。親の面倒は子どもが見るのは日本の良き伝統、だったはず。
 看取り士が中心となり、看取りボランティア「エンゼルチーム」を組織し、自宅死を勧めることで孤独死の解消を図ろうと運動を続けていらっしゃいます。

笑顔で母の死を迎える
 松江市のSさんは、57年間一緒に過ごしたお母さんを看取った方。
 癌で余命100日と宣告を受けたお母さんの延命治療の選択に直面し、逡巡に逡巡を重ね、家族や母とも何度も話し合い、紆余曲折の末、自宅で母を抱きながら看取ったと。
 延命治療を医師に委ねていたならば、一生後悔したであろうとしみじみと。

 柴田さんに出会えたお陰で、やることを全部やりきって母の死を迎えることができた。
 母の死を受け入れることができた途端、全てを幸せに感じることができ、涙も流さず、汀に立ち会った皆が笑顔で母の死を迎えることができた。
 それ以来5年、母のことで涙を流すことは一度もなかった。満足していると。

 尊敬する方に、「生も歓喜、死も歓喜」と教えていただきました。仏法で説く生死不二とはこのことで、Sさんは、自分のお母さんを通してそれを体験なさったのだろうと。
 僕も自然体で生き、自然体で死んで行けたらいいなあって思っています。

素晴らしい出会いも
140510sibata.jpg  今日は、柴田さんの活動を記録映画に残そうと取り組む女性が埼玉から来ていらっしゃいました。
 柴田さんの思いをステキな歌にしていらっしゃいました。突然だった?ようですが、その歌を歌ってくださいました。
 また新しい、素晴らしい出会いを頂きました。

| 死の文化 | 23:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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在宅死と自宅死

 今日も?とっても濃い一日でした。

 朝からスペシャルオリンピックスの島根支部発足式のご案内、調整に事務局長のお供をさせていただきました。 担当部局との話の後、食の話に。食への関心がとても高くなっていますが、そう簡単ではないというのを改めて。
 その話の中で、親しくしている県関係の方が、田んぼを無農薬無化学肥料に切り替え、20年目を迎えたとのこと。早速電話。話を聞きにお邪魔しますと。今まで、人知れずやってきた人たちが繋がる時代でもあるかも知れません。時代が来ていますね。

エンドレス
 午後、食と心の講演会の反省会と今後のことを話し合う会が開催されました。
 殊更に思いのある皆さんがお集まりですから、簡単に終わりません。
 一つは、草の根ネットワークで地道に当事者の皆さんに伝えて行く取り組み、そのため、体験者のお話を聞く会を開催し、モチベーションを高めたいねと。
 また、食を支える農業をより健全化する取り組みなど、多方面のお話を聞く機会を設けたいよね等々、エンドレスの雰囲気でしたが、幾つかの方向性が見えたかもしれません。

ミトリを世界語に
 何人かの皆さんが残って熱い懇談が続く中、中座。看取り士の柴田さんの話を聞きたいと仰る出雲の方、障がい者支援のNPOの代表の方と一緒になごみの里を訪ねました。
 久しぶりに聞く柴田さんのお話しでした。ミトリを世界語にしたいとの思いを持ちながら取り組む看取り士養成も、少しづつ進んでいるようです。遠くなってしまった死を、取り戻したいと思う皆さんが少しづつ増えているからかもしれません。

在宅死と自宅死
 話を聞く中で、驚いたことがあります。在宅死と自宅死という言葉があるんですね。当然在宅死亡率と自宅死亡率という統計調査もあります。
 驚きにの一つは、在宅死という言葉。どうも、自宅と施設を含めて在宅死と括られるようです。在宅ケアって、施設も含むんだっけ?言葉は都合よく使えるんですね。

 次に、島根の在宅死亡率は、全国平均(17.4%)を2ポイント上回りほぼ20%で全国10位。しかし、自宅死は、全国平均(12.6%)を0.8ポイント程度下回る全国29位という点。
 心豊かなしまねの構築を県政の主要課題の柱として掲げ、あたたかい地域社会が残る島根と言いながら、自宅死が全国29位という現実。
 それは、死という人の尊厳を最も大切にすべき一瞬を守り通すことができなくなった、家族を含めて、支え合うコミュニティ機能がどんどん疲弊している地域、という皮肉な一面を映し出しているのではないかと感じました。どうなんでしょう。

胎内内観
 柴田さんの口から耳慣れない言葉が発せられました。
 殆どの行き来が途絶え、冷え切ってしまった親子関係を結い直すことができるのかという切実な問いでしたが、胎内内観をしてみたらどうですか?と。
 殆どの子どもが持つものの、就学前後で記憶の底に沈んでしまうという胎内記憶に思いをはせることができるとしたら、子を宿した母がどんな状況におかれていたとしても、子どもがそこを含めて母を理解し、愛を取り戻すきっかけになるのではないかと思います。

 吉賀町の助産士、福江さんは生死の現場に子どもを立ち会わせるべきだと仰いましたが、それは、生命のエネルギーを手渡す最も尊厳な場だという認識であろうと思います。
 敷衍してみると、柴田さんの胎内内観も福江さんの思いも同じところから発せられているように感じました。尊厳の場に立ち返ることができれば、生を受けさせてもらった感謝が生まれ、積もり積もった確執やわだかまりも消えてしまうように思います。
 生と死の現場、もっともっと大切にしていく必要を改めて感じました。

| 死の文化 | 18:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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看取り士の今、里山資本主義と地域

 広島も雨です。随分と涼しくなりました。秋ですね。

 頼まれてですが、5人の看取りをしましたよと。へえ、彼女も完全に看取り士と言ってもいいのかも知れませんね。
 その話の中で、やっぱりと言うべきだと思いますが、家族は立ち尽くすだけで何もできないんですよね。いえいえ、僕もベッドに横たわる妹を前にそうだったんです。
 彼女も、死が遠くなっていると実感を話して下さいました。

 彼女は、中国地方では草分けともいえるアロマテラピストですが、その彼女のもとにこんなオファーが来る。
 瀬戸内寂聴は、臨終の時は50mプール3杯分のエネルギーを受け渡す言ったと聞いていますが、そのような人生の最も大切な時をサポートできるシステムがないということなんですね。
 彼女には、その大切な時を受け止める思いも覚悟もある(何より感謝の思いのようです)ので問題ありませんが、その大切な時を託せる場所がないということが、日本の貧困問題や格差問題の根っこと通底しているとすると、余りにも寂しいではないかと思えるのです。

 さて、彼女とは、食育という視点でお話が聞きたいものと思っていました。特にテーマを絞ってお願いしたとか、そんなことではありませんでしたが、意識してそんな話をさせていただきました。
 というか、そんな話をする前に僕の体型が話題となって、自然とそこに話が行くんですね。それって、僕のビジュアル効果は100点以上かも(*^^*)
 
 ちょうど今読んでいる本が「里山資本主義」で、書かれている価値観と彼女の価値観、僕の価値観はとても似通っています。
 彼女もやはり、マネー中心主義というトレンドが変わってきていると実感している一人で、そこは完全に価値観が一致していますので、様々な事例で意見交換できました。
 いやはや、濃い熱い!

この続きは、後ほどUPできたらと思っています。

| 死の文化 | 23:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ゴールド・ペーシェント

 今議会の一問一答質問を作り上げる中で読んだ、大庭和子著「それでも病院で死にたいですか」(幻冬舎ルネッサンス新書)は少なからず衝撃でした。

 わずか160ページほどの本ですから、昨夜寝る前に読んでしまいました。
 帯には「現役看護師が見た、終末ケアの実態」とあり、裏表紙の解説には、崩壊する終末医療の現場を、現役看護師がありのままに記した、衝撃の告発書と書かれていました。

 思わず、自分の終末期はどうなるのか、母の終末期にはどう対応しようかと改めて考えてしまうような、衝撃的な内容でした。
 島根にはここまでの実態はないにしても、過酷な労働環境を強いられ、ある意味では、可能な限り生を保障することが当然と考えられてきた医療の世界ですから、ひょっとしたらと思いたくなります。
 マザーテレサは、「99%不幸でも最後の1%が幸せならば、その人の人生は幸せ」と言ったそうですが、この書はその反対、最後に人の尊厳を粉微塵に砕いてしまう現場を告発しているのです。

 今日の「意図確認」作業の中で、県職員の医師から「ゴールド・ペーシェント」という言葉を教えていただきました。
 英国では、最後の時間を過ごす人を「ゴールド・ペーシェント」(優待患者)と呼ぶそうですが、それは、人生を生き抜き、社会に尽くしてきた人に尊敬の念を込めて、社会が最高水準の医療とケアを最優先に提供するという考え方だそうです。
 まさに、最後の1%を尊厳ある生で飾ってもらおうとの意だと思います。

 京都大学のカール・ベッカー博士は、人として生まれて必ず迎える最期のときである死、ところが、その死が私たちの社会の中で見えなくなって久しい。そして、死の姿を見失った社会では、生もまた危機にさらされていると強調しております。
 その姿の象徴が、終末期医療の現場にありはしないか、そんな問題意識から終末期の医療、介護を考えてみました。

 飽くなき豊かさの追求によって、もしかしたら失われようとしているかもしれない人の尊厳。
 加速化する超高齢社会化現象によって、私たちの社会の終末期の現場はより深刻度を増そうとしているだろうと思います。
 終末期は、僕のあなたの明日にあるのかもしれません。一緒に考えたい課題です。

 僕の質問順序が決まりました。
 10月1日(月)の2番手、10:45からの予定です。

| 死の文化 | 23:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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